ただの学生の日記

ただの日記です。思ったことや、考えたことを書いていきます。

最近思う恋愛感情

ここ数か月、恋愛から距離置いている。

 

周りで色々あり、青春を謳歌していると思うことはあれど、そこを歩む気分には成れない。

 

そして、やっぱり意識的にそこから、恋愛から、離れているのかもしれない、とつくづく感じるのだ。多くの場合、恋愛は別れに繋がる。約3分の1が離婚することを考えれば長く続くカップルは決して圧倒的多数派ではなく、むしろ少数派であろう。

 

それを考えれば、体験する恋愛から別れ等が発生する確率は高い、そんなときに自分は恋愛感情を認めたくない、と無意識的に思っているのだろう。アドラー心理学でいう目的論でまさにそうだといえる。つまり、恋愛を通し傷つきたくないからこそ、恋愛を避け、その感情を思い出そうとしないのだ。

 

やっぱり、恋愛に伴う別れの感情というのは結構つらい、数日前に何故か別れるときの夢を見たときは今まで見た悪夢の中でもTOPレベルで精神的に来たと感じた、正直泣きそうだったし、夢の中でも号泣していた。たかが夢なんだけどね。

 

そして、いつまでこれは続くのかなとも思う、新入生や後輩が恋愛感情を持ち、一喜一憂している姿を見ていると、羨ましくないことはないのだ…。だが恋愛に対する不信感、というか隔たりはより一層強く感じる。

 

最近、恋愛もやはり需要と供給であるということを本を読みながら痛感するのだ。男女のどちらかが少ない場合(例えば理工系単科大学の学部生や看護師主体の職場が典型例であろうか)、やはり少ない方に有利になるのは当たり前だし、そんな光景はたくさん見てきた。そんなことを思うと、恋愛感情を大切に、ある程度はしないとは思う反面、やはりそういう環境に左右されている恋愛感情とは何なのだろうか、とも思う、結局唯一無二の何かではなく、比較に我々は判断している、婚活ではなく、一般的な恋愛においてすら。そういうことすらも含め運命の相手である、と言えればそれはそれでいいのだが、そこまでは決して思えない。

 

そうなると結局恋愛は不確かな感情によるものではなく、非常に打算的な行いとも考えられる、私は今までそんな風には考えてこなかった、そして色々な現実を知るたびに、その感情を信じることがどんどん出来なくなってゆく。結局、本能的な計算の元にこの感情は発生している、そう考えると動けなくなる、この思いは偽りなのだと…。

 

その思いを胸に行動していた過去が懐かしい。きっとこういうことがわかったうえで打算的な感情を受け止め行動できるようになれば「大人になった」、もしくは「汚れた」と言えるのかもしれない。