ただの学生の日記

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恋という病か否か判別法

「気になる人がいる」、「好きという感情を他人に持っている」そんな恋という病を患っているとき人はドーパミンがガンガン出て、ある意味精神異常の状態である。

 

でも、どこで恋の線引きをすればいいのか?長いこと思っていた。確かに身近に好みの人や気になる人というものは割かしいる。だけれども、それは恋なのか?。今まで他人にはそれ恋じゃね?と言われたりしてきたが、今回は今までのそれが違うとはっきりわかった。

 

そもそも恋愛は多くの場合コミュニティで発生する。人と人が出会う場所なんてのはそりゃ当然基本何かしらのコミュニティであり、集団である。一対一で出会う機会というものはあまりないだろう。だが、このようなコミュニティ内で恋愛をするのは非常にリスキーと言える。

 

理由は非常に端的、コミュニティ内で恋愛はもめ事のよくある主因である。また、失敗した場合コミュニティ内に居づらくなることは確実。成功しても人間関係にひびが入る可能性もある。要するに恋愛は人々が集まる集団、つまりコミュニティ内で発生するのが当然だが、一定の費用(恋愛が発生することによるコミュニティ内での人間関係の変化)が存在するということだ。これがその場の関係であった場合(合コンやお見合い、街コン等)その費用は少なく、金銭的費用のみが実質的費用となる。

 

このとき、人がコミュニティ内で行動するか否かはその費用を上回る感情が芽生えた場合であろう。いくら恋愛が精神異常とはいえ、必ずしもその費用を上回ることが出来るとは限らない。そういう場合は行動せず、思いを秘めたままいつかその感情は自然消滅するか美化される。

 

逆に、そうではない場合、そのコミュニティ内で問題になっても、何かしら起きてもしょうがない!、ということで行動をする、その内在する費用負担を黙認して。

 

今までの自分を振り返ると、私の恋愛は、行動できるか、出来ないか、という点で線引きできるということがわかったのだ。つまり、行動しよう!というときは明らかに「恋」と思える。逆に、行動できなかったいくつかの事象はやはり「恋」ではなかったと判断できる。

 

そう、私は久しく忘れてたあの感情を思い出し、恋の病にかかり始めている。