ただの学生の日記

ただの日記です。思ったことや、考えたことを書いていきます。

すぐに信頼していると言う奴ほどうさんくさい奴はない

つい最近まで、信頼とは一体何なのだろうか、というように考えていた。

 

最初のきっかけは所属する団体の幹部と話した時に、「信頼してるから」と言われたからである(若干記憶があいまいではあるが)。また、同時に「やっぱり信用、信頼は大事だから」みたいことも言われたのである。

 

しかし、私は思ってしまった、私は相手のこと、いや自分の団体の同じパートの全員を信頼できるほど「知らない」上に、そんな軽く「信頼」という言葉を使うのは何故なのだ?。(私自身が同期で信頼できるほど相手のことを知っており、実際に信頼できる人は二人である。)

 

ちょっとネットで検索していたらこんな記事を見つけた。

 

nockdance.hatenablog.com

 

の記事を記読んで、なるほど、と思った、特に記事内で引用されている

 

「多くの人間が『信じる』の名の下にやってる行為はじつは他人を知ることの放棄。それは決して『信じる』行為ではなく無関心。」

 

この言葉、まさにうちの団の常套手段を表していた。

 

そう、彼らは我々に興味などないのだ、そもそも今までそれなりの時間があったのにも関わらず、互いによく知らないという現実がその現状をうまく表している。だが「信頼」という言葉を使う、何て言葉が軽いのだ!

 

このとき、団に対する1つのモヤモヤの原因がわかった気がする。

 

「信頼」、とか「愛」という言葉が異様に軽いのだ。私の中でこの二つの言葉は「重い」。以前の恋人に対しては「好き」とはよく言っていたが、「愛している」と言うときは若干の躊躇さえした。まして日常生活において「信頼している」何てことは軽々しく言わない。

 

そして、この言葉の軽さは、団員同士の「無関心」という形で、しっかりと表面化しているのだ。また面白いことにこのような言葉は団員を縛り付け、苦しみを生み出している。つまるところ、何気なく軽く扱われる言葉たちに拘束されているのだ。「信頼しているよ」という言葉に含まれる期待・重圧が心を縛り付けている。

 

彼らのいう「信頼」という言葉に信頼はない