ただの学生の日記

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「頑張る」という言葉は好きじゃない

人間の思考は言葉をベースに行われている。だからこそ、英語、日本語、中国語、といったように異なる言語を扱う場合、その考え方や話す主体の感覚も大きく変わってくる。

 

そしてもちろん、日本語を使う人の中でも、日常で使う言葉の違いによって、大きく捉え方や発想など様々なものが変わるだろう。

 

最近言葉を選んで使うようになった(社会的文脈において正しいものを選んでいるわけではない)私が好きじゃない言葉がある。それは「頑張る」という言葉だ。

 

そもそも頑張るとは、goo国語辞書によれば

 

困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」

自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「―・って自説を譲らない」

ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」

 

dictionary.goo.ne.jp

 

と、言う意味らしい。そして少なくとも私の周りでは多くの人が

 

「 困難にめげないで我慢してやり抜く」という意味で使っているあろう。

 

別に、この言葉を自分に使うのはいいのだ、自分自身に対して使うのは問題ない。しかし、他人に使うのはいささかどうなのだろうか、と最近つくづく思うのである。

 

例えば、会話をしていて帰り際に「この後のバイト頑張って」という言葉を発するということは学生では普通に起こることだと思う。だが、言いかえれば「 困難にめげないで我慢してやり抜く」ことをしてよ!、と言っているようなもの。

 

たかがバイトならばいい、しかしこれが後がない浪人生や就活生だったらどう感じるだろう。本人はその困難に立ち向かっているのにもかかわらず、当事者ではない他人に「 困難にめげないで我慢してやり抜く」ことをしてよ!、と言われるのである。この言葉からプレッシャーを感じ、ただのストレスにしかならない。

 

そして「頑張る」という言葉はこのように「他人によって使われる」からこそ、暴力性が増すのである。結局「頑張る」のは他人によって言葉を投げかけられた「当事者」であって、他人が投げかける「頑張る」には、「部外者」の「期待、支配性」などが含まれており、圧力を生み出すだけでなく、「当事者」の「主体性」すらも奪ってしまう可能性をはらんでいるのだ。

 

この言葉の代わりに私は「祈る」「応援する」「いってらっしゃい」という言葉を使っている。

 

例えば「就活が上手くいくことを祈っているよ」とか「就活応援しているよ」とかである。

 

先ほどの「この後のバイト頑張って」を変換すると、「バイトいってらっしゃい」、である(正直これでも違和感は残るのだが、適切な言葉が浮かばない)。

 

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