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ただの学生の日記

ただの日記です。思ったことや、考えたことを書いていきます。

恋愛と依存と無償の愛

今現在私は恋をしている、とても大好きな人がいる。何故好きか、ある程度言語化は出来るが、完璧には説明出来ない、だってただ好きなんだもの。一緒にいた期間は短く、約一か月程度、しかしながらとても濃い一か月で、より相手のことを好きになってしまった。

 

だが、相手に距離を置きたいといわれてしまった、そもそも付き合ってもいなかったが、そういうことになってしまった。曰く、その理由は私にあるのではなく、向こうの気持ちの整理の問題だそうだ。相手の言っていることは非常に理解出来るので何も言えない、でもこの期間は非常に寂しく感じてしまう。そんなことを言われた日には何故恋をしてしまったのか、好きになってしまったのか、と少しばかり後悔をにじませてもしまった。

 

だが、そこで1つ思った、こんな風に苦しくなってしまうのは何故かと、もしや依存になってしまっているのではないかと。どうやらまだ未熟なようで、散々注意していたにもかかわらずそうなってしまったようだ。そして、ふと思ったのが、自分が真剣になれるものがないということだった。以前失恋したとき理解したことは趣味を増やすべきだ、ということだった。日常で恋愛以外の楽しみを多く作るべきだと、だが今気が付いたのは、楽しいという感覚程度では「恋愛」には到底勝てないということだ。就職すればそっちが大きなウェイトを占めるのだろうけれど、それまではどうしようもない、とくすぶるわけにもいかない。何か真剣になれるものを探したいと思う。

 

そんなことを考えているとき、こんな記事を見た。

 

for-happy-life.hatenablog.com

 

なるほど、と思ってしまった、今まで何を持って依存とするか、その境界線を考えていたが、この記事を見て何となく理解した気がする。そして問題は、つまるとこ私は恋愛並みに真剣になって依存できるところがなかったのだ!と。それが結果として恋愛への過度な依存に繋がってしまっていたのだと。

 

だが、問題はそれだけではなかった、私は今、何故か苦しいのだ。これは依存先が1つに絞られていて、そこが折れそうだからなのか?、どうやらそれだけではないような気がした。

 

それは愛の形に問題があるのではないかと。別に付き合っているわけではないが、相手のことは非常に、とても大好きである。ただ抱きしめているだけでとても幸せな気持ちになってしまう。それどころかただ声を聴くだけで嬉しくなってしまう。

 

にもかかわらず、私は付き合うという「一種の相互承認的形態」を無意識に相手に要求してしまっていたのだ、傷が治っていないにもかかわらず。結局相手に期待を、要求を無意識にしていたからこそ、そうなってしまったのだ。

 

じゃあ、どんな愛を目指せばいいのか、そう考えたとき、無償の愛、という言葉がふと出てきた。何故この言葉が浮かんだかはわからない。そしてこんな記事が出てきた。

 

gerge0725.hatenablog.com

 

これが正しい形か、っていうのはわからない、でも一つ言えるのは別に付き合わなくてもいいじゃないか、ということだ。だって、一緒にいるだけで、姿を見ることが出来るだけで、声を聴くだけで、十分幸せだもの。私は幸運にもそういうものを与えられている。

 

今、この期間に少しでも苦しいのは、無償の愛になりきっていないからだ。そんな気がした、しかしながらこれの実践は非常に難しいかもしれない。そもそも人は特段「愛し方」、つまり「愛するという技術的な方法」を必ずしも学ばない。何となく、自分の感覚で行ってしまう。だけども、そんな簡単なことではないことはわかり切っている。

 

今の私は、「恋愛に並みに真剣になれること」、そして「自分にとっての愛の形とその方法論」の2つを追及した方がいいようだ。

 

(ある意味こういう形でこれらに気が付けたことは幸運であった、そしてやっぱり会いたいなとか思うのであった。)